2021年9月5日日曜日

amiibo:パックマン(PAC-MAN)






















>ゲームの歴史

 

日本のビデオゲームの歴史は1970

代から始まったと言われています。戦前の娯楽の流行はお芝居(歌舞伎や能)から始まり、小説→スポーツ→ラジオ→映画→漫画→アニメ→テレビ→舞台劇→音楽と言った具合に戦前と同じような家電や趣味ばかりが再流行していました。アメリカでは本土自体が第二次世界大戦の波に呑まれていた訳ではないので、いずれの娯楽も戦前の使い尽くされたジャンルばかりだったので、飽きられ始めていました。もちろん、それぞれの媒体は家電や科学技術の発展で内容密度が濃くなり、進化していた面も強調されていましたが、アメリカでは既に流行遅れの娯楽ばかりでした。

 

そこで誕生したのがゲームという新しいジャンルです。ゲームの歴史自体は古代エジプトや古代メソポタミアから始まっており、双六やサイコロなんかがゲームと呼ばれていた時代もありました。ゲームの定義とジャンルが明確化されたのは電子部品を利用した遊具を操作するビデオゲームからです。現在では一般的にゲームと言うと、電子部品を利用した画面上の機器あるいは遊具そのものを指します。

 

ビデオゲーム(電子ゲーム)の元祖はバーや酒場に導入された「PON」というシンプルなゲーム機器からです。アーケード機器の先祖とも言えるでしょう。スティックを動かして、一つの玉をゴールに目がけて打つというシンプルなゲームですが、この「PON」の登場がなければ、ビデオゲーム(テレビゲーム)業界は起こらなかったとも言われています。

 

アメリカの酒場やバーに「PON」を発展させたアーケードゲーム機器が次から次へと導入されていきました。やがてアメリカではそれを家庭用ゲーム機に発展させたゲーム機も販売されるようになりますが、アメリカのゲーム機は1980年代に起こった「アタリショック事件」以降に開発・販売されなくなります。最近ではマイクロソフトが市場参入しましたが、ごく最近の話です。

 

日本では戦後復興から約30年経った1978年に『スペースインベーダー』が発売されます。これはタイトーから発売されたシューティングゲームで、日本においてはゲーム業界による初めての社会現象になったゲームと言われています。タイトーは現在ではスクウェア・エニックスに吸収合併されて子会社化しました。タイトー以外にも名作やさまざまな社会現象を巻き起こしたハドソンはコナミに買収されました。コンパイルもセガに版権を買収されて倒産していきました。アトラスはセガの子会社にされて、セガ自身もパチンコメーカーのサミーと合併しています。有名なゲーム会社はタイトー以外にも次々と倒産したり買収されたり吸収合併されていきました。現在残っている日本のゲーム会社はわずかでしょう。

 独立している大手のゲーム企業は任天堂、カプコン、コナミぐらいで、任天堂以外のゲーム会社も副業という形でゲーム以外の別の事業を行わなければ企業存続が難しい時代になっています。

 コナミはスポーツジム運営、コーエーは歴史及び観光事業の協力、スクエニは出版と玩具、洋ゲーの翻訳ローカライズなど、カプコンはソシャゲやパチンコ関係、セガはゲーセン、バンナムは玩具やキャラクタービジネス、ソニーは本事業が元々ゲームじゃないといった具合。

 


『スペースインベーダー』の頃にはキャラクターが存在して、設定やストーリーが背景にあるゲームも生まれ始めたと言われています。それ以前のゲーム業界は明確なキャラクターやストーリー、設定、ルールなどが存在しなかったと言われています。つまり、ゲーム業界の主導権はキャラクターやストーリー、設定などを発掘した日本にアメリカから移った訳です。ゲーム業界はこの頃から日本の主要産業として華を開き始めました。ファミコンで成功した任天堂も既に山内博前社長が業界参入に乗り出し始めていました。

 

1980年には任天堂が『ゲーム&ウォッチ』を販売。世界で4000万台以上を売り上げるLSIゲームとして知られています。同年にはナムコからアーケードゲーム向けに『パックマン』が導入されます。パックマンはゲーム史における初めて手足を持ったキャラクターだとされています。地球史に例えるなら、スペースインベーダーが魚類、パックマンが両生類という感じです。実際にパックマンは両生類のように魚類的な特徴も持ち合わせていました。実際のゲームでは手足がない状態で画面上を自由自在に動く生物のようなキャラクターでした。しかし、ポスターやガイドブックなどでの公式イラストでは既に手足は持っていたようです。『パックマン』以降のゲームでは手足を持つスクロール形式の画面で動くキャラクターが一般的になりますが、『パックマン』以前のゲームでは縦横の全画面対応と身体全体しか動かさないキャラクターのゲームが一般的でした。その理由はゲーム産業が業務用ゲーム機のアーケードから家庭用ゲーム機に移行した為です。テレビの画面に合わせてキャラクターを操作するので、横操作しか出来ないスクロール画面でしかキャラクターを動かせなかったのです。

 

1985年には任天堂が家庭用ビデオゲーム機の『ファミリーコンピューター』を発売します。アメリカでは既に「アタリショック事件」でテレビゲーム機自体が廃れる雰囲気でしたが、日本での成功を機にアメリカにも導入すると、たちまちテレビゲーム機の熱が入ったようです。同時にアーケードゲームやゲームセンターが廃れる原因にもなりました。ファミコンが導入された時期からビデオゲームは娯楽や趣味の主要なジャンルとして追加されていきました。しかし、アーケード時代からゲームの危険性や有害性を主張するメディアや著名人が多かったので、家庭によってはゲームが制限されていた世帯も珍しくなかったようです。漫画の社会的なイメージを変革させることに成功した手塚治虫でさえも当初はビデオゲームの反対論者でした。しかし、ビデオゲームの有害な社会イメージは任天堂が手塚と同じやり口で変革させることに成功します。手塚は自身が医師免許を所有して教養性の高い漫画を次々に発表させていくことで漫画の有害な社会イメージを変えさせることに成功しました。手塚が願う漫画への高尚かつ教養的なメッセージの継承はトキワ壮の弟子達にも伝えられて、愛弟子の藤子・F・不二雄が漫画の有害なイメージを払拭させることに成功させました。

 

任天堂も手塚と同じ思惑でゲームに教養性と高尚なイメージを持たせる為にイメージ戦略を工夫することに努力していきました。2000年代後半に登場した「ニンテンドーDS」と「Wii」に身体を強制的に動かせる周辺機器やコントローラーを導入したり、ゲームソフトに文学やハウツー形式、勉強に特化した安価なソフトを導入したのです。この試みは日本でも海外でも大成功して、2000年代後半には老若男女の殆どがDSWiiを所有する社会現象にもなりました。

 

さて、時は戻って、1985年には『スーパーマリオブラザーズ」をファミコン用ソフトとして販売します。このゲームは1981年にアメリカのアーケードで成功していた『ドンキーコング』の正当な続編になっていて、主人公がゴリラから配管工のヒゲ親父に移りました。名前はマリオ・マリオ。今や任天堂の看板キャラとなったあのマリオです。マリオブラザーズのゲームは世界中で成功し、ゲーム界のミッキーマウスの立場もパックマンからマリオブラザーズへと移行していきました。マリオブラザーズを初めとする任天堂のソフトはいずれも高クオリティかつ安定的な難易度であり、日本でもアメリカでも愛されるようになりました。アメリカでは1986年以降に『ゼルダの伝説』と『メトロイド』が大ヒットします。日本ではスクウェア・エニックスの『ドラゴンクエスト3』がソフトが買えなくなるほどの社会現象化していました。

 

ブランド志向の強い日本人には受けなかったセガハードの「メガドライブ」と『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は1990年代前半にアメリカで大ヒットを飛ばしました。一方の日本では携帯ゲーム機市場にも参入した任天堂の「ゲームボーイ」がヒットしてました。

 

1990年代後半には任天堂と契約関係が破棄されたソニーが家庭用ゲーム機の「プレイステーション」を販売して、任天堂からゲーム業界のシェアを奪うことに成功します。1999年には1980年代から活躍していたセガがゲームハード事業から撤退することになります。テレビゲーム機で苦戦を強いられていた任天堂は1990年に登場したスーパーファミコンを1996年まで延命させて、「ゲームボーイ」では『ポケットモンスター』を発売させることでシェアを維持することに成功しました。テレビゲーム機では1996年のニンテンドー64以降、ソニーやセガのハードにシェアを逆転されていましたが、携帯ゲーム機では『ポケモン』が社会現象化したので、シェアを維持することには成功していました。

 

この『ポケットモンスター』はメディアミックス化に成功した初めてのゲーム作品でした。アメリカでは既にゲームソフトの名作たちが独自にアニメ化されたりアメコミ化されていましたが、日本でゲーム作品がアニメ化されてメディアミックス化にも大成功したのは『ポケモン』だけと言われています。ポケモンはアメリカにも輸入されましたが、アメリカで売れなかったゲームボーイも市場が活性化されたようです。アメリカでは携帯ゲーム機よりもテレビゲーム機のほうがポピュラーらしいです。

 

2000年代前半にはDVDプレーヤー機能を搭載したPS2が即日売り切れになるほどの大盛況になりました。セガがハード事業から撤退した代わりにパソコンメーカーだったマイクロソフトはゲームハード事業に参入することになります。アメリカのゲームメーカーがハードのシェア争いに介入するのは「アタリショック」以来でしょうね。任天堂はようやくCD-ROMの光ディスクを搭載したゲームハードの「ゲームキューブ」を発売しますが、サードパーティは既にソニーのPS2に開発路線を移しており、「ゲームキューブ」では殆どが任天堂製のゲームソフトしか発売されない事態になります。ニンテンドー64で発売した『どうぶつの森』が500万本以上を売り上げる社会現象になるのはニンテンドーDSの『おいでよ どうぶつの森」からです。

 

2006年にはソニーが次世代機のPS3を発売しますが、値段が高すぎる上に初期不良が多く、PS2との互換性がないマイナーチェンジ版まで発売されたので、ユーザーがソニーハードから撤退するようになります。一応、2009年にはキラーソフトの『モンスターハンター2G』でソニーのPSPがバカ売れするようになりますが、その頃まではソニーハードがPS2PS1並に売れるということはありませんでした。PS2からのユーザーは既にPSPへ移行してたりもして、PS3へ移行することは稀になっていました。PSPはマルチメディアプレーヤーとしてゲーム以外にUMDアニメや音楽プレーヤー、動画編集や動画再生、ネット機能などのスマホ並のスペックがあったので、家電コンプのユーザーからは人気の高いゲームハードでした。モンハンが登場する以前からPSPはそこそこ売れていましたが、任天堂のニンテンドーDSよりはシェアが高くありませんでした。

 

任天堂も2004年にニンテンドーDSという次世代ポケットゲーム機を販売してシェア奪還を狙います。この試みは見事に成功しました。ゲームの娯楽に持たれる有害なイメージを知育ソフトの普及で払拭することに成功しました。DSには前世代ハードのゲームボーイアドバンスとの互換性もあったので、『ポケモン』などの前世代ソフトとの通信があるソフトのユーザーにも大ヒットしました。2006年にはテレビゲーム機のWiiを発売します。このゲーム機はPS3と違って、値段が2万円以下という安価な値段とファミコン~ニンテンドー64までのソフトをエミュレーター形式でダウンロード出来る「バーチャルコンソール」とWiiFitWiiSportsなどの身体を動かせるゲームソフトがあったので、ゲーマーから老若男女にまで幅広く売れるゲーム機となりました。『WiiFit』や『WiiSports』はゲームソフトの売り上げランキングでベスト5に入るほどの超人気ソフトでした。

 

2010年代にはソニーがPS VitaPS4を発売します。PS Vitaは値下げ戦略により普及し始めたポケットゲーム機ですが、キラーソフトが無い上に現代はスマホやタブレットパソコンなどのマルチメディアプレーヤーが普及しているので、PSVitaPSPよりシェアを確保するのが難しいようです。PS4は値段が高価な上にゲームソフトもPS3同様に洋ゲー中心になっているので、日本では普及し難いようです。これはPS4の技術力やスペックが高過ぎるために日本国内のメーカーが開発費や開発力を維持できない為だとも言われているようです。

 

任天堂はポケットゲーム機に「ニンテンドー3DS」を発売します。このゲーム機はサードパーティも数多くのゲームソフトを提供するようになり、PSPのキラーソフトだった「モンハン」もこのゲーム機で発売されるようになりました。バーチャルコンソール機能では「ゲームボーイ」と「ゲームギア」と「ファミコン」と「PCエンジン」を導入。しかし、新作ソフトが充実してるせいか、Wiiほど展開することは少ないようです。据え置きゲームハードでは「WiiU」を発売しますが、任天堂ハードでは初めての2万円越えのハードの上、周辺機器やコントローラーが別売りのせいか日本でも世界でも普及し難いハードのようです。個人的には「ゲームキューブ」以上の負けハードじゃないかと思います。携帯ゲーム機では新作提供していたサードパーティも「WiiU」ではあまり提供しないようですね。PS3と同じで、洋ゲーからのソフト提供のほうが多いイメージがあります。HD画質ですが、PS3以下のスペック及びグラフィックだとは思うので、PS3よりは画質や画素数はそれ程高くないんじゃないかと思う。任天堂自身もゲーム開発するのが難しいせいか、移植物か続編作品が多い印象のあるハードです。主に任天堂の外注作品ばかりがゲームソフトを占めてるハードだと思います。任天堂自身が開発まで担当しているソフトは今のところマリオ系ぐらいしかないと思う。




>パックマンとは?

『パックマン』とは1980年にナムコか

ら稼働開始されたアーケードゲーム用のゲームタイトルの事です。アーケードとは業務用ゲーム機の意味でゲームセンターに入ってるゲームを指します。元々テレビゲームは業務用ゲーム機として行楽地やゲームセンター、酒場なんかに導入された”遊び”でした。この新しい遊びが麻薬中毒のように夢中になったのはアメリカの「PON」が起源だと言われています。「PON」は後にブロック崩しゲームとして進化してパソコンゲームの定番の遊びになっていきました。

 

1978年には日本のタイトーが『スペースインベーダー』を稼働しました。当時の日本はゲームセンターが少なく、喫茶店に導入されていたので、このゲームに夢中になった当時の中高生は多かったです。その中に入っていたのが『ポケモン』を生み出した田尻智で、彼は後に喫茶店ゲームの攻略情報を載せた同人誌「ゲームフリーク」を配布して多少の利益を挙げていきました。後に実際に家庭用ゲーム機のゲームソフト開発にも積極的に関わるようになっていきました。

 

タイトーは『スペースインベーダー』や『パズルポン』などのゲームで成功する大企業でしたが、2000年代には業績悪化して『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』で有名なスクウェア・エニックス社に買収されて子会社化していきました。

 

当時はビデオゲーム自体が黎明期だったので、このジャンルのビジネスで儲けようとする会社は多くありませんでした。本格的に日本でもビデオゲームだけでビジネスを確立させる会社が増えたのは1980年の『パックマン』からだと言われています。

 

『スペースインベーダー』から2年後の1980年にはナムコから『パックマン』が業務用ゲームタイトルとして全国稼働しました。

 

『スペースインベーダー』よりルールが複雑化して敵に強い時もあるが、弱くなる時もあるといった変化的なこのゲームに大人も子供も夢中になりました。

 

『パックマン』は日米で大成功して、『スペースインベーダー』のように社会現象にはなりませんでした。しかし、後世においてルールが複雑化して操作するキャラクターが生き物のように動き回るという意味では『パックマン』が最初だったと言えるでしょうね。

 

それまでのゲームでは規則的な動きをするキャラクターしか居らず、独自の世界観や生き物のように感情を表すキャラクターのゲームというのはありませんでした。キャラクター性があって、不規則な動きが可能になったゲームというのは『パックマン』が最初になります。

 

アメリカではポスターに書かれたキャラクターデザインやパックマンのシンプルで独特なデザインから「ゲーム界のミッキーマウス」として信仰されるようになりました。日本では1980年代のミッキーマウスと呼ばれてたそうですが、ミッキーの肩書きは後にマリオに移っていく事になります。

 

『パックマン』を導入したゲームセンターや喫茶店は、なんと全世界で26万台だそうです。売上実績は不明ですが、ゲーム機の基盤とか匿体が1千万とかかかる時代だったらしいから、経常利益はかなりのものだったんじゃないかと思う。

 

『パックマン』はゲーム界が発展・普及していくにつれてゲームセンターから姿を消して、任天堂のゲームハードで活躍するマイナーゲームに変化していきましたが、ゲーム業界以外でのパックマンの存在は凄まじかったです。

 

1990年代にはアメリカのチンパンジー研究所で『パックマン』で遊ぶチンパンジーが世界中のメディアから注目されるようになりました。厳密にはボノボという猿なのですが、この猿はパックマンが強くなる条件と敵を倒す方法というのを心得ていて、ゲームに敗北すると悔しがる光景も映像記録として残っています。

 

2010年代にはアメリカのインターネット最大手会社「Google」がパックマンとコラボした事で話題になりました。このコラボはパックマンを実際の地図で操作するというゲームで期間限定で遊べました。また、パソコンの最大手メーカー「Apple」もパックマンのロゴマークをMACパソコンのCMでコラボさせる事に成功していました。

 

パックマンは日本では廃れたゲームでしたが、ソニックと同じでアメリカを中心とする英語圏の国の人々からは未だに尊敬と敬愛されている素晴らしいゲームになっています。

 

パックマンがスマブラ参戦した時もアメリカの多くのユーザーがソニック、ロックマン、リトルマックに続いて発狂していました。

 

アメリカでは今でもかなりの大人気ゲームみたいです。

 

1980年のパックマンブームが終わると、任天堂はLSIゲームの『ゲーム&ウォッチ』を販売します。その後、ビデオゲームの流れはアーケードからテレビゲーム機や携帯ゲーム機へ移行していき、2000年代にはパソコンやスマートフォンのゲームへ分散・多様化していく事になります。

 

ちなみに宮本茂さんは『パックマン』の大ファンだそうで、田尻智さんと同じようにナムコへ就職する事も検討していた事があったらしいです。

 

しかし、ビデオゲームの歴史を振り返ると、1985年に登場した『スーパーマリオ』や『ゼルダの伝説』、『ポケットモンスター』などが日本やアメリカで大人気になった背景を考えると、宮本さんや田尻さんは任天堂やそれ関連の会社入社で良かったと思います。

 


 

>バンダイナムコゲームスとは?

任天堂にとってのサードパーティ(他社)です。パックマンはバンダイナムコゲームスのキャラクター・著作権にあたります。

 

アメリカでは「ナムコバンダイゲームス」という社名らしいです。アメリカでは未だにナムコブランドは強いようでバンダイの方が無名という扱いらしいです。バンダイは玩具やガンダムの商品化に強い会社ですが、2000年代にナムコを買収する形で合併しました。出資はバンダイの方が強いようですが、アメリカでは今でもナムコが大人気らしいので、社名は「ナムコ」が先頭になっているようです。

 

ナムコ自体は生粋のゲームメーカーですが、セガやカプコンと同じくゲームセンターを運営しています。かつてはテーマパークも運営していた事があったそうです。この会社の代表作は『パックマン』や『アイドルマスター』、『風のクロノア』、『テイルズ・オブ・ファンタジア』、『ドルアーガの塔』、『太鼓の達人』などのゲーム作品です。

 

テイルズはバンダイのゲームだった気がしますが、確かナムコだったと思う。一般人にとってよく知られているゲームは『パックマン』ぐらいなので、スクエニやカプコン、任天堂辺りと比較するとメジャー級のゲームタイトルが少ない会社です。

 

ソニック一強のセガと似た感じの大手ゲーム会社って感じですが、『パックマン』の実績と成果を考えると、十分すぎるぐらいの偉業を果たしたゲーム会社なんじゃないかと思います。

 

ゲーム専門家の方々の意見を聞くと、『パックマン』はゲーム界で初めてキャラクターと世界観を持ったゲームであるという意見が多いです。他には複雑なルールを採用したゲームも『パックマン』が初めてだそうです。

 

それまでのゲームは単純なルールが多く、変化に乏しいゲームばかりでした。要するにアイテムだとか時間制限だとか敵を倒すとパワーアップという要素がそれまでのビデオゲームには無かったそうなんですよね。

 

あと、『パックマン』以前のゲームはあくまでもトランプや双六のような”遊び”の範疇で遊ぶゲームが多かったんですが、『パックマン』以降のゲームは漫画やアニメと同じ創作ジャンルとして取り扱われる事が多くなりました。

 

それによって、創造性と芸術性と感受性が豊かな優れたゲームクリエイターがゲーム会社で活躍するようになって、ビデオゲームは漫画やアニメ以上に人々に感動を与える創作になったとも言われていますね。

 

ストーリーだとか感動性が本格的に始まったのはスーパーファミコンやPS1の頃からだと思いますが、ファミコンの時点で作家に近い職業だった糸井重里さんがゲーム作りに関わっている時点でゲームで感動出来る行為自体はファミコン時代には始まっていたと思う。

 

『パックマン』が後世に与えた影響は相当大きいでしょう。今日でこそ、ゲームは漫画やアニメや映画と同じ創作ジャンルとして見られていますが、『パックマン』が現れなければゲームは未だにトランプや双六と同じ”遊び”の範疇から抜け出せなかったでしょうからね。

 

『パックマン』はそういう意味だと、ゲーム世界の革命児だと呼べるでしょうね。パックマンがゲーム界を変革させた偉業に達成したゲームって未だに存在しないと思いますし。

 



>パックマンが主演・登場する主な作品

 

・パックマン・・・・・・・・・アーケード、1980

 

・スーパーパックマン・・・・・・・・・アーケード、1981

 

・パック&パル・・・・・・・・・アーケード、1982

 

・パックマニア・・・・・・・・・アーケード、1983

 

・パックマンアレンジメント・・・・・・・・・『ナムコクラシックコレクションVol.2』に収録されている、1984年、アーケード

 

・パックマンVS・・・・・・・・・・2001年、ゲームキューブ

 

・パックマンアレンジメント・・・・・・・・『ナムコミュージアムコレクション』に収録、2004年、PSP

 

・パックマンアレンジメントプラス・・・・・・・『ナムコミュージアムコレクションVol.2』に収録、2005年、PSP

 

・パックマンチャンピオンシップエディション・・・・・・・・・・PSN/XBLA2006

 

・パックマンバトルロイヤル・・・・・・・・・・2011年、アーケード

 


 

>関係者・関係会社各位

 

・バンダイナムコゲームス・・・・・・・・・開発元・販売元(サードパーティ)。ナムコがバンダイと合併して「バンダイナムコゲームス」という会社になった。しかし、実質バンダイに買収されたと思う。

 

・任天堂・・・・・・・・・・・・・ナムコに任天堂ハードでの販売とソフト開発を許可している。ソニーがハード事業で優勢になると、サードパーティで一番早くにソニーハードでナムコがソフト提供した。

 

・岩谷徹・・・・・・・・・・・パックマンの産みの親。お昼ごはんに出前ピザを注文して一つのピースを食べた後に余ったピザの形を見て『パックマン』を思い付いたという逸話が残っている。それが由縁でドット絵のパックマンをピザ欠けパックマンとも呼ぶ。

 

・宮本茂・・・・・・・・・・・彼の就職先の第一希望が「ナムコ」だったことは有名な話。宮本は後に任天堂に就職して、「マリオシリーズ」と「ゼルダシリーズ」の産みの親となった。

 

・田尻智・・・・・・・・・・・・宮本と同じく、彼の最初の就職希望先が「ナムコ」だった。その為、最初に発売した『クインティ』というゲームもナムコが販売元で発売している。田尻が結成した株式会社ゲームフリークは任天堂のゲームハード以外にソニーのPSハードやセガのセガサターンなどにもソフトを提供していき、3本柱の構えでゲームソフトを販売展開していった。1996年には任天堂の下で『ポケットモンスター』を開発して、大ヒットする。

 

・ボノボ・・・・・・・・チンパンジー属の類人猿。人類以外で『パックマン』を操作出来る動物。『パックマン』の複雑なルールを理解して、遊んでる最中に感情表現を見せる事も出来たという。

 

Google・・・・・・・・『パックマン』が好きなIT系の大企業。Googleの検索エンジンでは『パックマン』とコラボした単発のゲームをGoogleマップで再現した。

 

Apple・・・・・・・・・・MACIpodIphoneなどのデジタルデバイスを開発・販売しているIT系の大企業。CMで『パックマン』とコラボしてピザ欠けパックマンのマークをMACのシンボルマークに利用していた事がある。


>著作権

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©Deathnicle/Gariusu Marutis


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